「国家〈下〉」は、岩波文庫の一冊であり、哲学者プラトンの著書です。この本を読んでみて、深い洞察力と哲学的な思考を通じて、社会や政治について考えさせられる貴重な体験をしました。
まず、この本の魅力は、プラトンの文章の美しさとその内容の深さです。彼の緻密な論理と哲学的な洞察力が際立ち、読む者の心を揺さぶります。政治や社会の根本的な問題について考えるきっかけを与えてくれるだけでなく、人間の本質や正義についても深く追求しています。
また、本書は古代ギリシャの政治体制や教育制度についても詳しく触れており、当時の社会の様子を知ることができます。プラトンの理想的な国家像を描きながら、人間の欲望や権力の問題にも切り込んでいます。
ただし、一つ気になった点は、哲学的な内容が難解であることです。プラトンの思想は複雑であり、深い理解を得るには時間と努力が必要です。初めて哲学の本に触れる方には、少し敷居が高いかもしれません。
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国家〈下〉 (岩波文庫 青 601-8) 文庫 – 1979/6/18
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- ISBN-104003360184
- ISBN-13978-4003360187
- 出版社岩波書店
- 発売日1979/6/18
- 言語日本語
- 寸法10.6 x 2.2 x 15 cm
- 本の長さ551ページ
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (1979/6/18)
- 発売日 : 1979/6/18
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 551ページ
- ISBN-10 : 4003360184
- ISBN-13 : 978-4003360187
- 寸法 : 10.6 x 2.2 x 15 cm
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2022年1月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
第十巻最後尾にある「エルの物語」が必要でした。
死後の世界と生まれる前の世界が哲学を通して語られており。
最も納得が行く説明で。
古代ギリシアは神殿が立ち並ぶ敬虔な人が多く。
神殿と神々の説明を書いた看板や浄財入れなどがどこにでもあったという。
神父さんの話を読みまして。
あれはパウロの目撃談が伝わったものでしたね。
なるほどプラトンも超自然的要素を語れるのも当然ですね。
ギリシア神話に似たような説明になっていますが。
エルの物語に基づいて推理するのは最高で。
なにしろプラトンという保証書があります。
他にもプラトンには出生と死後の世界を書いた哲学書がありますが。
私は得意ではなく。
プラトン学派と呼ばれる傾向を持った人は好きになるでしょう。
個人的にはプラトンの哲学は難解で。
アリストテレスは理解可能でした。
プラトンが偉大なのは知っていますが。
向いていなかったです。
死後の世界と生まれる前の世界が哲学を通して語られており。
最も納得が行く説明で。
古代ギリシアは神殿が立ち並ぶ敬虔な人が多く。
神殿と神々の説明を書いた看板や浄財入れなどがどこにでもあったという。
神父さんの話を読みまして。
あれはパウロの目撃談が伝わったものでしたね。
なるほどプラトンも超自然的要素を語れるのも当然ですね。
ギリシア神話に似たような説明になっていますが。
エルの物語に基づいて推理するのは最高で。
なにしろプラトンという保証書があります。
他にもプラトンには出生と死後の世界を書いた哲学書がありますが。
私は得意ではなく。
プラトン学派と呼ばれる傾向を持った人は好きになるでしょう。
個人的にはプラトンの哲学は難解で。
アリストテレスは理解可能でした。
プラトンが偉大なのは知っていますが。
向いていなかったです。
2005年11月22日に日本でレビュー済み
第八巻の国制(1)名誉支配制(2)寡頭制(3)民主制(4)僭主独裁制(5)世襲王権制、これらも人間のもつ性格や傾向性から分析されていると思います。私が特に興味をもったのが、第六巻線分の比喩、第七巻洞窟の比喩でした。ここでは善が認識の最高目標「学ぶべき最大のもの」という命題のもとで話が進行しています。善そのものは、実在を超えた存在となっており、「知られるもの」=「見られるもの」です。そして世界を二分します。可視界(=見られる種族)と可知界(=思惟によって知られる種族)です。可視界は思わく−生成、可知界は知性ー実在という構図になっています。これが第七巻の洞窟の比喩を通して展開されるのですが、「知的世界には、最後にかろうじて見てとられるものとして、善の実相がある」、「目に見えない実在にかかわるような学問でない限り、魂の視線を上に向けさせる学科としてはほかに何も認めることができない」と、その主張の根底には真理は人間の認識能力によって把握されるべきものだ、というテーゼがあるように思いました。線分の比喩がどのような適合を見たかは、
BC:AC=BC:AC=BE:CD=CE:AD
実在:生成=知性:思わく=知識:確信
=悟性的思考、間接知:影像知覚、間接的知覚
と私がまとめた限りではこうなりましたが、このことが精神と物質の均衡を保つ世界としての表現なのか、また別の意味なのかは、私には分かりません。
第十巻の魂の不死においては、時間を超えた不死=永遠=善のイデアという、「善いものは何ものをも滅ぼすことはできない」確信が伝わってきました。全永劫への関心−この言葉から、私も目の前の雑事ばかりでなくて、そういった普遍的なことにも目を向け考えなければならないな、と感じさせられました。
BC:AC=BC:AC=BE:CD=CE:AD
実在:生成=知性:思わく=知識:確信
=悟性的思考、間接知:影像知覚、間接的知覚
と私がまとめた限りではこうなりましたが、このことが精神と物質の均衡を保つ世界としての表現なのか、また別の意味なのかは、私には分かりません。
第十巻の魂の不死においては、時間を超えた不死=永遠=善のイデアという、「善いものは何ものをも滅ぼすことはできない」確信が伝わってきました。全永劫への関心−この言葉から、私も目の前の雑事ばかりでなくて、そういった普遍的なことにも目を向け考えなければならないな、と感じさせられました。
2023年1月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
上巻だけを読んだ時点の印象とはまったく異なる読後感を得た。
プラトンの『国家』『正義』を舞台に「哲学とは何か」「善のイデア」「魂とは何か」があますところなく語られる圧巻の一冊だった。特に国家の形態と随伴する魂の形態が述べられる第8巻は、統治の本質と変遷の本質を捉えた概論となっていて、普遍的に読み継がれるのが納得できる内容だった。
特に現代を生きる我々が、疑うこともなく理想と掲げ、その中で自由を謳歌していると信じ込んでいる「民主主義国家」が退廃し、「僭主独裁制」に移行する過程を描き出したp240-250は多くの人に読まれるべき内容ではないかと強く感じた。
下巻は対話編の形式をかろうじて維持しているだけで、ほとんど全てソクラテスの口上を通したプラトンの独白的な内容だといえる。
上巻を読んだ際に感じた、なぜ題が『正義とは』ではなくて『国家』なのかと、いう問題はもはやどうでも良く感じるほど、作品全体のスケールを広げだ下巻だった。
もしこの作品を読み返すならば間違いなく下巻だけを繰り返し読み返すだろうとおもう。
プラトンの『国家』『正義』を舞台に「哲学とは何か」「善のイデア」「魂とは何か」があますところなく語られる圧巻の一冊だった。特に国家の形態と随伴する魂の形態が述べられる第8巻は、統治の本質と変遷の本質を捉えた概論となっていて、普遍的に読み継がれるのが納得できる内容だった。
特に現代を生きる我々が、疑うこともなく理想と掲げ、その中で自由を謳歌していると信じ込んでいる「民主主義国家」が退廃し、「僭主独裁制」に移行する過程を描き出したp240-250は多くの人に読まれるべき内容ではないかと強く感じた。
下巻は対話編の形式をかろうじて維持しているだけで、ほとんど全てソクラテスの口上を通したプラトンの独白的な内容だといえる。
上巻を読んだ際に感じた、なぜ題が『正義とは』ではなくて『国家』なのかと、いう問題はもはやどうでも良く感じるほど、作品全体のスケールを広げだ下巻だった。
もしこの作品を読み返すならば間違いなく下巻だけを繰り返し読み返すだろうとおもう。
2019年6月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
プラトンは、政治は大別すると四つの形態を取るとしています。1)理想国家(優秀者支配制)、2)寡頭政治、3)民主政治、4)僭主独裁制政治、の四つです。そしてこの順で政治形態は変っていくとしています。
私は、どのような過程を経て民主政治から僭主独裁政治に移行していくのかを知りたくて、購入しました。これは下巻に記載されています(上巻は理想国家(優秀者支配制)と寡頭政治)。最初、下巻だけを読んだところ、余りに面白かったので、上下巻合わせて二回通読してしまいました。
プラトンが説明している民主制から僭主独裁政治への移行のあらましを要約すると、先ず、民主制では自由が最も尊ばれるとしています。そして、自由を求めて争いが起こるとしています。ある人の自由は他の人の自由と干渉するからです。その争いの結果、最も強い人が最大限の自由を獲得し、他の人の自由は剥奪されてしまいます。これが僭主独裁政治です。北朝鮮のような国です。
私が驚いたことは、プラトンは民主制では自由が最も尊ばれることを既に分かっていることです。現在の世界でも、特にアメリカでは自由を尊んでいますが、現在の政治を見ると、最も自由を尊んでいるアメリカでも、僭主独裁政になる兆しはありません。横暴なトランプ大統領でも完全な自由を獲得していません。これは、アメリカの法制度で大統領の職責を制限しているからでしょう。むしろ、中国の方が僭主独裁政に近いような気がします。
今後どうなるか、プラトンの予言のように僭主独裁政への道を歩むのか、別の道を経て僭主独裁政に行くのか、或いは全く別の形態に移行するのか、更に興味が湧いてきました。なお、有名な投資家のジム・ロジャーズは、僭主独裁制の後は、初めに戻ると何処かに書いていましたが、私が読んだ限り、岩波文庫版ではそのようなことは書かれていませんでした。しかし、おそらく、彼の言う通り、最初の理想国家(優秀者支配制)に戻ることになるのでしょう。政治には四つの形態しかないようなので。
私は、どのような過程を経て民主政治から僭主独裁政治に移行していくのかを知りたくて、購入しました。これは下巻に記載されています(上巻は理想国家(優秀者支配制)と寡頭政治)。最初、下巻だけを読んだところ、余りに面白かったので、上下巻合わせて二回通読してしまいました。
プラトンが説明している民主制から僭主独裁政治への移行のあらましを要約すると、先ず、民主制では自由が最も尊ばれるとしています。そして、自由を求めて争いが起こるとしています。ある人の自由は他の人の自由と干渉するからです。その争いの結果、最も強い人が最大限の自由を獲得し、他の人の自由は剥奪されてしまいます。これが僭主独裁政治です。北朝鮮のような国です。
私が驚いたことは、プラトンは民主制では自由が最も尊ばれることを既に分かっていることです。現在の世界でも、特にアメリカでは自由を尊んでいますが、現在の政治を見ると、最も自由を尊んでいるアメリカでも、僭主独裁政になる兆しはありません。横暴なトランプ大統領でも完全な自由を獲得していません。これは、アメリカの法制度で大統領の職責を制限しているからでしょう。むしろ、中国の方が僭主独裁政に近いような気がします。
今後どうなるか、プラトンの予言のように僭主独裁政への道を歩むのか、別の道を経て僭主独裁政に行くのか、或いは全く別の形態に移行するのか、更に興味が湧いてきました。なお、有名な投資家のジム・ロジャーズは、僭主独裁制の後は、初めに戻ると何処かに書いていましたが、私が読んだ限り、岩波文庫版ではそのようなことは書かれていませんでした。しかし、おそらく、彼の言う通り、最初の理想国家(優秀者支配制)に戻ることになるのでしょう。政治には四つの形態しかないようなので。
2013年7月19日に日本でレビュー済み
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下巻には『国家』全10巻中の第6巻から第10巻までが収録されている。
第6巻では「哲学者が国家を統治するのでない限り国家は幸福にはなれない」という第5巻でのソクラテスの主張を受けて、真の哲学者とはどのような人種であるかが議論される。視覚における太陽と同じ役割を、知覚においては善が担うという議論は興味深い。
第07巻では有名な「洞窟の比喩」が語られる。教育とは「向け変え」の技術に過ぎないというソクラトスおよびプラトン独特の教育論が展開される。
しかし何といっても個人的に興味深いのは第10巻であった。
神が創ったイデア界の寝椅子と、人間が作った現実界の寝椅子と、画家が描いた絵の中の寝椅子とでは、描かれた寝椅子が最も真実から遠い、とソクラテスは言う。戦争を描いたホメロスは詩人ではあったが戦士ではなかった。ホメロスのおかげで勝った戦争や、ホメロスのおかげで統治が善くなった国は一つもない。
画家は手綱を描くが、手綱を最もよく知っているのは画家でもなければ皮職人でもなく、手綱を使う人間である。使うための技術、作るための技術、真似るための技術の中で、画家や詩人は第三番目の(低俗な)技術に従事する者である。
意外だったのはショーペンハウアー芸術論との大きな隔たりであった。ショーペンハウアーがプラトンの影響を受けているのは定説であるが、ショーペンハウアー哲学において芸術家とは天才であり、芸術作品とは最も崇高なイデアの表現である。そのような芸術至上主義が少なくとも『国家』には全く見られない。
また言葉による作品が現代よりも低く評価されているのは、言葉と行為がまだ切り離されておらず、それだけに行為の方が高く評価されていたからかも知れない。言葉が行為から独立し独自の価値を持つようになるのは、印刷技術が発達して以降のことだろう。ネット社会の到来によって、言葉と行為の関係はさらに変化しているように思われる。当時と現代の価値観の違いを感じさせながらも、決して色あせることのない名著である。
第6巻では「哲学者が国家を統治するのでない限り国家は幸福にはなれない」という第5巻でのソクラテスの主張を受けて、真の哲学者とはどのような人種であるかが議論される。視覚における太陽と同じ役割を、知覚においては善が担うという議論は興味深い。
第07巻では有名な「洞窟の比喩」が語られる。教育とは「向け変え」の技術に過ぎないというソクラトスおよびプラトン独特の教育論が展開される。
しかし何といっても個人的に興味深いのは第10巻であった。
神が創ったイデア界の寝椅子と、人間が作った現実界の寝椅子と、画家が描いた絵の中の寝椅子とでは、描かれた寝椅子が最も真実から遠い、とソクラテスは言う。戦争を描いたホメロスは詩人ではあったが戦士ではなかった。ホメロスのおかげで勝った戦争や、ホメロスのおかげで統治が善くなった国は一つもない。
画家は手綱を描くが、手綱を最もよく知っているのは画家でもなければ皮職人でもなく、手綱を使う人間である。使うための技術、作るための技術、真似るための技術の中で、画家や詩人は第三番目の(低俗な)技術に従事する者である。
意外だったのはショーペンハウアー芸術論との大きな隔たりであった。ショーペンハウアーがプラトンの影響を受けているのは定説であるが、ショーペンハウアー哲学において芸術家とは天才であり、芸術作品とは最も崇高なイデアの表現である。そのような芸術至上主義が少なくとも『国家』には全く見られない。
また言葉による作品が現代よりも低く評価されているのは、言葉と行為がまだ切り離されておらず、それだけに行為の方が高く評価されていたからかも知れない。言葉が行為から独立し独自の価値を持つようになるのは、印刷技術が発達して以降のことだろう。ネット社会の到来によって、言葉と行為の関係はさらに変化しているように思われる。当時と現代の価値観の違いを感じさせながらも、決して色あせることのない名著である。